体を丸めて眠っていると、誰かが自分の頭を撫でていた。
それが気持ちよくて、もっと撫でてくれと頭を動かすと、
頭上からくすりと笑みを溢した気がした。
一体誰だろう・・・・・・お父さん?お母さん?官兵衛・・・?
すると、その人は困ったような、寂しそうに笑った。
どうしてそんな顔をするの―――?
「・・・・・・あ。」
目を開けるとすぐ天井が映った。
カーテンの隙間から月の光が差し込んでいる。
貰い物の目覚まし時計の針はまだ二時を指していた。
豊臣の社員達と共に暮らすことになってまだ数週間。
子供一人だけでは贅沢ともいえる個室は、彼女からすれば広々としている。
もう十歳とはいえ、何年も親と同じ布団で寝ていない。
さっき見た夢の影響からか、ふつふつと人の温もりが恋しくなった。
***
社宅にある食堂は朝から賑やかで、美味しい香りに包まれている。
強張りがちな社員もこの時ばかりは穏やかな表情をしていた。
入社すれば本社の食堂も込みでいつでも無料で食べられる。
特別にも社宅食堂で食事することができる。
「半兵衛と仲良くなりたい・・・・・・?」
官兵衛はほうれん草のおひたしを箸でつまんだまま、を見た。
話があると面と向かって言われたので何かと思えば・・・・・・
だが話題を振って来た本人はどこか浮かない様子である。
「まあ・・・みんな、そう思うよね。でも、前世でもそんなに関われなかったから。」
「あ〜・・・・・・立場ってのもあったからな。だが今はそういう関係じゃないだろう?
気軽に話しかけてみたらどうだ?」
「・・・どう、やって・・・?」
乱世の頃は半兵衛からの指示がなければ、自分から行くこともなかった。
現在、半兵衛はこの会社の頭といえる人物で、
三下社員なんかが声をかけるだけでも足が竦むというが、この少女に限っては別だろう。
「いいですねぇ、オマエは・・・。
オレ様がいくら業績上げても、ちぃ〜っとも褒めてもらえない・・・・・・
オレ様だって一声かけるくらい・・・一声くらい・・・。」
壁際から這いずるような間延びする声を上げては、頭を抱えて体を震わせる又兵衛。
ねちっこく愚痴を溢すのはいつものことなので流すことにした。
官兵衛は軽く頭を掻きながら、言葉を探す。
「まあ・・・いきなり会話に移すのは難しいだろうな。
あいつはたまにこっちにも顔を出すから、その時に挨拶でもしたらいいんじゃないか?
あっちはマンションから通勤しているし、その機会を逃したらこのまんまだ。」
「あいさつ・・・・・・うん、そうする。」
いつ半兵衛が来るか分からない現状だが、
本人のモチベーションが上がってるようなのでこれはこれで良しとした。
「けど不思議だな。相手がどう思っているのか分からんってーのに、
そこまで気にかけるのはお前さんくらいだろ。」
「そうだね。最初に見つけてくれたのは秀吉様だけど、
うちに生きる理由を与えてくれたのは、はんべ様だから。」
思うように食べれない深い傷を負い、
自害しようとした彼女を半兵衛が叱咤したのを思い返していた。
今では満足にご飯を食べられるが、にとって大きなことなのだ。
当時、住み着いたばかりの彼女の世話係を任されていた官兵衛も
その事情を知っている。
本当によく頑張って来れたなとしみじみ思った。
「あの、ですねぇ・・・・・・がどうしてもって言うなら?
別にオレ様が手を貸してやってもいいんですよぉ?」
「お前さん・・・・・・魂胆が見え見えだぞ。」
もじもじと遠回しな発言をする又兵衛に呆れという名の溜息が出た。
出入口の前で「ちゃんと朝餉を取りやれ。」だの「引っ張るな刑部!」だのと
騒ぐ二人を加え、食堂は更に活気を増すのだった。
***
就寝時間を迎え、殆どが自室に戻る中、社宅に一つの人影が静かに入って来た。
残業などがない限り、ここへ来ることはないため、
片付けをしていた管理人は驚いた様子だった。
「ふっ、副社長!お疲れ様で御座います。何をお持ち致しましょう。」
「そうだね・・・・・・茶を一杯いいかな?」
まるで家臣さながらに直ちに!と奥へ引っ込んだ。
食堂と兼用になっている休憩室の座敷に座り、ふうと一息ついた。
出入口の方から扉が開く音を聞いて、自然に其方を向いて目を見開いた。
「・・・・・・こんな時間にどうしたんだい?」
「ね、眠れないんです。ちょっと歩いてたら食堂に電気点いてたから気になって
・・・・・・すぐ部屋にもどります!」
「待ってくれ。」
戻ろうとするを即座に呼び止めた。
「別に怒ってるわけじゃないんだ。眠れないのだろう?
ここで少しゆっくりしないかい・・・?それとも、部屋に帰りたいかい?」
は首を横に何度も振った。
まさかのお誘いにびっくりしたが、このチャンスを逃したら後がない!
官兵衛のエールを脳裏に浮かべ、そそくさとスリッパを脱いで座敷に上がった。
座ろうとしたは再び声をかけられた。
「こっちおいでよ。」
半兵衛はぽんぽんと自分の隣を叩く。
ぴしりと体が固まった。距離が近すぎやしないかと思うが、それを断る理由がない。
一層、距離が縮まっての鼓動は最高潮に高まった。
座ったのはいいけれど、この後どうしよう!?
「最近、調子はどうだい?」
此方を察してくれたか否か、半兵衛から疑問形の話を振られた。
「えっと・・・・・・学校のこと、ですか?それとも、ここの生活ですか?」
「どちらも知りたいな。」
「あ・・・・・・学校は、楽しいです!友達もできて、勉強することもできたから。
豊臣の人達は、うちに気軽に声をかけてくれたりして・・・・・・みんな、やさしいです!
今の方が・・・・・・楽しいです!」
緊張してうまく伝わっているか不安でたまらなかったが、
そうか、とホッとしたような笑みを浮かべる半兵衛を見て、は不思議に思った。
あれ?こういうこと、前にもあったような・・・・・・。
「昔から、ずっと後悔していたんだ。」
すると突然、半兵衛が違う話に切り替えた。
それも、前世に関してだった。
「己を殺し続けて君との接触を極力拒んできた・・・。
十分傷ついた君を軍に招いた僕を、憎んでいるんじゃないかと・・・・・・。
今回だって、ここでの暮らしに満足してくれるかどうか・・・・・・。」
それは初めて聞く、半兵衛の本心だった。
聞きたくても聞けなくて・・・・・・知ることが怖かった。
『そういう時代だから』『そういう立場だから』と自分に言い聞かせ、
病に伏せた彼を目の当たりにしてひどく後悔した。
半兵衛も同じ心境であったことを驚きながらも、嬉しくも思った。
「はんべ様・・・・・・うちが豊臣の兵になるのも、ここに住もうって決めたのも、
全部うちです。どっちも、後悔してないです。」
項垂れていた整った顔が此方に向いた。はこくりと頷いた。
彼の悲しい表情を見て、きゅっと胸が締め付けられる。
後からそれは、作りものではなく、本心からの微笑みに変わった。
長く引っかかっていた番がようやく取れたのだ。
「さて、もう遅いし部屋まで送るよ。」
「へっ?・・・・・・あ・・・はい。」
「そんな残念がる顔しなくてもまた来るよ。極力、ね。」
「本当、ですか!?」
「勿論、ただとは言わないよ。」
「?」
「僕と話す際には敬語なし、敬称なしで半兵衛と呼ぶこと―――できるよね?」
「へあっ!!?」
「僕と会うのは・・・・・・嫌かい?」
「うう〜〜〜・・・・・・・・・・・・はん、べい・・・・・・。」
「上出来だ。」
2016/01/31