「ねえ、お母様・・・どうして男の子の服を着なくちゃいけないの?
わた・・・ぼく、こんな頭やだ。いつになったら、お家に帰れるの?」
「***は、別荘は嫌い?」
「ううん。お母様とワンワンたちと一緒だし、森で冒険するの好き。
でもお父様と・・・みんなと一緒がいい。」
「・・・・・・お父さんはね、とても・・・お偉いお客様とお仕事の話をしているの。
話が長引くから、暫くここにいるようになって。
無事に成功すれば、またお家で皆と暮らせるから・・・・・・ガマン、できる?」
「うーん、よくわかんないけど・・・・・・お父様は、商売やってるから・・・
邪魔しちゃいけない・・・ガマン、する・・・。」
母の言葉を信じて別荘生活一年目を迎えた頃、
元気だったはずの母は父に再会することなく、病の床に臥せて他界した。
***
娘の七歳の誕生日を迎えてから、父・エリオットは更に男装への力を入れた。
それは二十四時間、元の性別を変える『性別転換薬』を子供の内に慣れさせようと、
一粒一粒与え始めたのだ。
何故男として装う必要があるのか、まったく分からなかった。
訊こうとしても、いいように有耶無耶にされてしまう。
ある日、しつこく問い詰めたことに気を悪くした父に頬を張り飛ばされて以来、
ついに訊く機会を失った。
男装することを除いても、英才教育を受けることに変わりはない。
共に食事すること以外、父と顔を合わしたり会話をすることも皆無。
確かに厳しい面はあったものの、自分が苦手とする生物と触れ合うことに寛容していたが、
今はそんな優しい一面を見る陰もなかった。
この館で唯一会話ができるのは、しもべ妖精のサルビアだけである。
「サルビア、僕は・・・・・・父様に嫌われたの?」
「何を馬鹿なことを・・・・・・。」
「だって!昔はあんなに怖くなかった!
こんな恰好までさせて、父さんがわからないよ・・・・・・。」
「お嬢―――いえ、お坊ちゃま。
それが本当にあるならば、何故あなたはここにいるのです?
立派なお召し物を授かれ、難易度の高い勉学までさせて・・・・・・。
あなたを愛しているからではありませんか。」
「だったら何で構ってくれないんだ?どうして僕らを置いてけぼりにしたんだ?
お母様の葬式だって・・・・・・来てくれなかった!
最初から、僕らのことなんてどうでもよかったんだ!」
「お待ちなさい坊ちゃま!」
今まで文句なく英才教育を受けて来た***の精神は、もう限界だった。
あの行為から、どう愛を感じろというのか。
こんなことになるなら、まだ別荘にいる方がマシだ。絶対戻らないぞ!
父に黙って使っていたブルーパウダーを利用して、別荘とは違う外界へ飛び出した。
自分も行ったことがない外の景色。
ほぼ家に閉じ込められていた彼女にとって、
どこにでもある平凡な遊び場さえ輝いて見えるのだ。
「これ、何だろう・・・・・・。」
座板を支柱から鎖で水平に吊るしている構造。
かなり前から使い古しているように見える。
ぐるりと回りを見てから、支柱を上った。まあまあの高さだ。
ここから見渡す景色も悪くない。
「何してるの!危ないじゃない!」
「ん?」
声が聞こえた方へ顔を動かす。
花柄のワンピースを着た赤毛の女の子が此方を見るなり、真っ直ぐ駆け寄ってきた。
距離が近くなり、顔もはっきりと見える。
アーモンド型の緑色の目が此方を見つめて怒っていた。
「ブランコに乗るのはこの板!そっちじゃないの!」
「へえーブランコっていうんだ。」
「なんでそんな悠長に・・・・・・早くそこから下りて・・・・・・ああ!」
ずるっと手を滑らせ、***の体は沈むように落ちていく。
女の子は両手で顔を覆った。鎖が激しく鳴った。
女の子はおそるおそると指の間をあけた。目の前には***が平然とブランコに座っていた。
「ねえ、これに座って何するの?」
相変わらずのほほんとした態度で聞いてくる***に女の子はすかさず詰め寄った。
「だから下りて言ったのに!」
「うん、下りた。」
「あれは落ちたの!もしケガしたら、どうするの・・・!?」
「別に構わないさ。僕が死のうが誰も悲しむ人なんていない。」
「・・・・・・お母さんとお父さんは?」
女の子は怒鳴るのを止めて、囁くように訊いた。
「母さんは死んだ。父さんは・・・・・・。」
***は顔を歪ませ、吊り下げる鎖を握りしめた。
「僕のこと、嫌ってる・・・・・・心配してくれる人なんていない。
帰る居場所だってない。だから気にすることなんかないよ。」
何ともいえない雰囲気に女の子は黙りこくった。
ブランコについて聞きたかったのだが、この様子では無理そうだ。
さて、どうしようかと空を仰ぐと、突然手を掴まれた。
視線を戻すと、正面には女の子が間近にある。
またキーキー言われるかと思いきや、***を立ち上がらせた。
「ちょ・・・・・・何だよ?」
「どうせこの後暇でしょ?わたしの家においでよ!」
「誰が暇だと・・・!」
***の言葉を聞いていないフリして、ぐいぐいと腕を引っ張る女の子。
思ってた以上に力がある。何で自分が!と心中で愚痴る間に、
とうとう本人の家の前に辿り着いた。
自分のより大きくはないが、日当たりが良く、派手すぎない色で可愛らしい家だ。
凝視する***を横目に、女の子は「素敵なお家でしょう?」と自慢げに笑んでいた。
「あ、そういえば名前聞いてなかったわ。わたしはリリー。」
「名前すら知らない人間を家に入れようとしたのか。」
「あら、さっきまでわたしの名前を知らなかったのだからお互いさまよ。
あなたは何て名前?」
嫌味を込めて言ったのに対し、リリーはニッコリと微笑んだ。
***は眉間にしわを寄せる。さっきから調子を狂わせるな、コイツは。
「僕は・・・・・・。」
言いかけた名前を呑み込み、暫し沈黙する。
今更親が・・・・・・父親がつけた名前を名乗るのはどうなのか。
ふと、大好きな母親との記憶が過る。
「お母様、このお花はなあに?」
「それはね―――」
今亡き母は彼女が生まれる前から候補して考えていたというあの場面。
そうだ、それを名乗ろう。
「―――と呼んでくれ。」