あれから暫く私は声をかけてくれた白銀のお兄さんもといリゾットの家でお世話になった。 何故警察を呼ばないのか、普通なら疑問に思うことだが、 多分何らかの事情があるんだろうと勝手に結論づけた。 後から教えてくれたのが此処がシチリア島(シシリー島とも呼ぶみたい)で、 英語もわからない私は既に詰んでいた。 そんな私に気にかけてくれるだけでも有難いことだし、まだ子供だから深くは考えない。 それでも家に帰れる間に自分ができる範囲でお手伝いをして、 時間がある時にはリゾットにイタリア語を教えてもらった。 そんな生活を送っていた一年後にリゾットの様子がおかしくなった。 その時、彼のリゾットのいとこの子供が自動車に跳ねられて死んでしまったのだ。 その子とは何度か遊んでいたのもあり、私もひどくショックを受けた。 それが飲酒運転によるもので、とても許されるものではない。だが社会はそうしない。 その運転手が数年の刑で済まされ四年後にその運転手は死んだ―――と社会では言う。 ふらりと帰ってきたリゾットを見て私は気づいた。彼が殺したんだと。 「、お前はこれから言う場所へいけ。しばらくは一緒にはいられない」 突然そう言われてショックだった。 彼が可愛がっていたいとこの子供が亡くなって、その子を死なせた運転手を・・・ その心境を完全には理解できない。こういう時こそ彼を支える、何とかするべきだ。 当時私は十歳。イタリア語は覚えてはきたが、豊富な知識や身体能力を持っていない。 彼の邪魔をしてはいけないと感じとった私は泣かず、黙って指定された所へ向かう。 リゾットの身内経由で紹介された日本に住むおばあちゃんと暮らすことになった。 結局最初から最後まで彼にさせてもらってばかりだと何もできない自分に腹が立つ。 不甲斐ない自分に苛立ちながら、時間はあっという間に過ぎていった。 *** 高校入学が決まったその数日後、長くお世話になっていたおばあちゃんが亡くなった。老衰だった。 入学準備よりも葬儀のやり取りなどで慌しかった。 自分が亡くなったら故郷のシチリアで埋葬してほしいという遺言に従い十年ぶりにシチリアにやって来た。 おばあちゃんの家族は既にいないため、葬儀に参加する人は少なかった。 リゾットは来るだろうかと淡い期待を抱いたが、翌日になってやって来たのは別の人間だった。 「あんた・・・リゾットの女か?」 「は?」 リゾットの身内でもなければ見たことのある知人でもない。 いきなり言われたのも含め、警戒心を露わにした。 「まあ、あいつの女だろうがなんだっていい。奴は来ていないらしいが会ったら伝えろ。 殺ししか能のないお前らが次出しゃばるマネしたらただじゃ済まないってな」 リゾットに向けてだと身構えたが、溢れ出る疑問が大きい。何故複数形で出るのか。 あの時別れてから彼は一体何をしていたのか。知らなくてはならない。 「その話、詳しく聞かせて」 2019/07/04