あれは私が小学生になる前。 母方の祖父の実家へ遊びに、とある森林に流れる川辺で従兄妹達と遊んでいた。 冷たい水をかけ合ったり、泳いだりして楽しんでいる中、 砂利の上を歩く為に履いて来たビーチサンダルを片方だけ流されてしまった。 「私のサンダル!」 「止しなさい!危険よ!」 後ろから母を始め、大人達が静止しようとするが、 私はそれを無視して川の流れに沿っていきながら遠のいているビーチサンダルを目指す。 だが一向に目標に手が届かず、親達からどんどん離れていく一方。 どうしよう・・・このままじゃ私まで流されるかも―――。 不安を募らせていく中、視界から外れる横から白い何か(・・)が走ってきた。 疲労で視界がぼやけていく中、薄らと見えたのは一匹の『白いウサギ』だった。 *** 『掃除して勉強する』――― そんな形で位置づけられた毎日を送っているこの頃。 今日は何故だか絵が描きたくなってノートの余白にペンを走らせる。 1ページ目がウサギで溢れると次のページに移す。 自分の考えたキャラクターやこの書斎の周りを描くだけでは留まらず、 今度はこの館に住む人々を描き始めた。 ジョージさんは凛々しく、ジョナサンの瞳は・・・こんな感じで合ってたかな? 間違ってたら本人に悪い。 次の人物の顔の輪郭を描き、髪を描き終えた所で瞳を描き上げた瞬間―――ペンを止めた。 「、診察の時間だよ―――・・・何隠したの?」 ジョナサンの声に我に返って絵を隠したのだが、その努力は空しく終わってしまった。 それでも≪何でもない。≫と念を押してみるが、 「悪いけど、それ(・・)を下にしたの見えちゃったから。」と苦笑で返される。 「父さん達には内緒にするから・・・!・・・だめかな?」 まるで子犬を思わせる表情でお願いされて誰が断るというんだ!! しかし、それでも達者とは言えないこのヘタっぴな絵を見せる=(つまり)ジョナサン達(の顔だけ)を描いたことがバレる。 それが私を葛藤させた。今にも泣き出しそうなジョナサンの顔をおそるおそる見る。 ≪怒らない?≫ 「?・・・それってどういう意味?」 「見ればわかる。」という意味を込めて、 本の下敷きになっていた例のノートを半分ヤケくそな思いでジョナサンに手渡した。 ちょっと乱暴だったのかもしれない、と少し後悔するには今更だった。 ジョナサンが時々目を大きく見開きつつ、真剣に見てくれることに私の緊張感はMAXに達する。 彼は何て言うのだろう。キツイ評価を下すのか・・・そもそも、見せるのが嫌なら描くな!というのが 最もなのだが、そんな意味とは裏腹にやってしまうのが現状だ。 紙をめくる音が止まり、ジョナサンは私の両手を掴んだ。 ・・・もういいや。やってしまったことは仕方ない。酷評なり罵るなり、どんと来いや!! だが一向に彼の口から何の言葉も出ず、静寂だけが続いた。 「(あれ?何で何も言わないの?)」 何の反応もない彼を心配して目を開けた。そこに何故か目を輝かすジョナサンが肩を震わせていた。 「すごいよ!ぼくにはこんな才能がないから尊敬しちゃうよ!でも何で隠そうとしたんだい?」 自分の予想より超えた展開についていけず、やや興奮気味で早口で喋るジョナサンに混乱した。 ≪もっと。もっとゆっくり、さっきの、もう一回。≫ 「あ、ご、ごめん・・・。」 大分落ち着いた所で(本当はまだ心がざわついているが) ジョナサンから信じ難い称賛(と思いたい)の雨を浴びて再び混乱するハメになった。 どうしてそんな恥しい言葉が言えるのか不思議でならない。 「本当に皆に見せなくていいの?とても上手なのに・・・。」 本描きでもない、ただのラクガキですよジョナサン。 既に本人には見せてしまったけれど・・・。 (一体どの絵に対して『上手』と言ったのかは聞かないでおこう) 「最初にウサギが描かれてあったね。」 ≪昔、から、ウサギ、好きだった。≫ 「・・・だった(・・・)?」 ≪うん。でも、嫌い、じゃない。年の、せいかな?≫ なんて・・・まるで年寄りみたいだな私。そのせいか、ジョナサンが思いつめた表情をしている。 本当にすみません。次から二度と言わないから。(いや、筆記だから『書かない』が正解か) 「って・・・小さい頃に、外国に行ったりしなかったかい?」 ≪ううん。一度もない。≫ ある訳ないでしょ!こちらの家の事情を知ってもしょうがないのだが、≪何故?≫と聞くと 「ごめん。ただ気になっただけだから。」何故か謝られた。 ・・・もしかして私ドジ踏んだ? 「さ、待たせるといけないから、行こう。」 ジョナサンはいつもの顔付きに戻ったが、私は彼が何を聞きたかったのか気掛かりでならない。 でも、また彼を先程と同じ表情をさせるのは嫌だ―――脳内に浮かべた問いを無理やりかき消した。