広い室内にあるテーブルで対面するのは私とジョージさん。少し離れた所に執事が立っている。
その人が淹れてくれた紅茶の香りが鼻をくすぐる。
「、今の生活にはもう慣れたかい?」
≪はい。おかげ様で。≫
「それはよかった。」
「(・・・・・・)」
会話が続かない。
以前、私と初めて会った時と比べてこの静けさ。
ジョナサンやディオがいる時は彼らの会話に筆記で参加する程度だが、今彼らはいない。
衣食住を提供してくれる第二の恩人であるこの人と慣れ親しむのに躊躇してしまう。
(元々私が口下手であることは別として・・・)
その上、私が喋れないため何かと気を遣わされてしまう。
「ジョナサンとディオとは?」
どうしようかと悩んでいた時に次の問いが出された。
ハッと我に返ると少し雑になってしまった文を見せる。
≪仲良くさせて頂いております。≫・・・まるで教科書通りに書き写したみたいで少し後悔した。
「君とは年が離れているからね。女の子一人で窮屈じゃないのかい?」
「(・・・)」
一瞬、自分の本音を交えて伝えようかと思ったが、
無理やりかき消して彼を安心させる言葉をつづった。
≪そんなこと、ないです。ここに、住ませる、そうしてくれるだけでも、十分です。≫
この気持ちにウソはない。が―――思っていることをそのまま伝えなかった自分が嫌になる。
けれどジョージさんの笑顔を見て、少しだけ楽になれた気がした。
このままじゃダメだ。自分から話題を振るチャンスだ!
思ったことをパッとペンで滑らせている所にノックされる。
「旦那様、お客様がお見えです。」
「わかった。は先に部屋に戻ってなさい。」
≪―――はい。≫
来客(多分)をきっかけにその質問を出すことはなくなった。
もっと早く切り出せば・・・後から出て来る言い訳に、
私はそれが書かれた一部を切り取り、一心不乱に破り裂いた。
「(・・・私の意気地なし)」
***
今にも降り出しそうな曇り空を横目に、懐から懐中時計を取り出す。
11時59分に止まった針。教室で床に落ちたせいか、ガラスに亀裂が入っている。
まだこれを買って半年も経っていないのに残念だ。
「(この時代の修理屋さんに頼んでもしょうがないよね・・・未来の売られている時計なんて・・・)」
せめて汚れは落とそうとハンカチで軽く拭いた。
しばらくすると廊下側から変なざわつきを聞いて、どうしたんだと思い席を立った。
少し離れた所でメイドさん同士が何かを話し合っているようだった。
正直所々しかわからなかったが、困惑している様子からして何かを買い切らしてしまったようだ。
曇っていて分かりづらいが、もうすぐ夜になる。もしかして夕食の材料なのだろうか。
いくら雇われた側とは言え、夜道を出るのに抵抗があるのかもしれない。
(この時代について詳しくわからないが)
***
・・・とは言ったものの、いくら女を半分捨てている私でも不安はある。
夜道であること、そして一人で外出することだ。ジョナサンと散歩する機会があったが、
筆記でしか会話が成立しない現状があるが故、独断で行くことはなかった。
「貴女が行くことないんですよ!」と少し焦った様子でメイドさんに遠慮された場面を思い返し、
素直に従っていれば良かったかもしれないと少し後悔した。
「(さっさと済ませて帰ろ・・・)」
指定されたお店を3軒はしごしながらメモに書かれてある物を全て揃えた。
(全て筆記に任せた購入した。当然だけど)
買い物をしている間、何故か店員に温かい目で見られたような・・・つまりアレか。日本人(アジア人?)
特有の童顔のせいで小さい子(何歳に見えたのかは分からないが)
一人でがんばっておつかいしていると思われたのか私は。
・・・まあ喋れないという理由で変な目を向けられなかっただけでもマシか。
そうプラス思考で改め、街を後にしようとした時、急に押し寄せて来た人の波をかわせず、
そのままのまれてしまった私は思わず紙袋と会話用の筆記用具から手を放してしまった。
「(大変・・・!!)」
人と人の間を潜り、地面に転がる品を拾い集めるも、周囲はただ歩くことを止めず私を避けていく。
普段なら人見知りしてしまうので助けを求めようとはしないが、今までと全く違う環境の中でついに
起きてしまったトラブルに、完全混乱してしまった私はそうせざるおえない。
だが声が出ないことが障害して、
手を挙げて『助けて下さい!』という風に歩行者に視線を向けてみても通り過ぎていく。
よりによって踏み慣れていない国で・・・何でこんな目に遭遇なきゃならないの!?
もう頭の中がごちゃごちゃで訳がわからなかった。
その時私は拾うのを止めて体を丸めながら涙を流していた。
喉から声を出しているつもりだった。
そんなことした所で誰かが気にかけてくれる訳でもないのに・・・
だが今の私にその思考は当然頭では理解していない。
無声で涙を流している最中、更に追い打ちをかけるように雨が降り始める。
それを避ける様に急いで走る人達。完全に孤立した私の心はまさに『この世の終わり』だ。
―――もういやだ。
英語を完璧に覚えるなんて、私には無理な話なんだ。
家に帰りたい・・・。
「あなた・・・大丈夫?」
私の中で本当に時が止まったような感覚を覚えた。
雨音に消されそうに小さく、それでもどこか誇り高さを感じられる澄んだ声。
顔を上げてその持ち主の姿を目にして思わず息を呑んだ。
「(キレイな人・・・)」
長く伸びたブロンドに合う美しい瞳が印象の女性。
間近で見る美女に惚けていると、その女性は私と目線を合わせるようにしゃがんだ。
「大丈夫、わたしはあなたの味方よ。」
母を思わせる微笑みに、私の胸の奥に渦巻いていた黒いもやが浄化されていくのを感じた。
冷静さを取り戻した私は、『自分は声が出ない』とジェスチャーしてみた。
「大変な思いしたのね。」まるで自分のことのように悲しい表情を浮かべて私の濡れた頭を撫でた。
どうやら伝わったようだ。
「さっき拾った物だけど・・・あなたのじゃない?」
雨で湿ってもはや機能を失った紙袋に入った品々。それらはまさに私が探し回っていた物全てだ。
(ただ会話用のメモ帳はもう使えなくなってしまったが・・・)
「(ありがとう御座います!!)」
歓喜きわまって何度もお辞儀した。激しく頭を揺らしていたらカシャン、とメガネを落としてしまった。
「(うわあ〜恥ずかしすぎる・・・!!)」慌てて拾ってかけ直す私に彼女はクスクスと笑みをこぼしていた。
「今夜はもう遅いわ。わたしの家に泊まっていらっしゃい。」
「(えっ・・・!?)」
「それに服を乾かさないと風邪を引いてしまうわ。」
つくづくなんて良い人なんだ・・・!!(そしてこの言葉を理解できたのも奇跡!)
とてもありがたい言葉だが、よその家にお邪魔するなどおこがましいことだ。
それと何より、私の身勝手な行動でこれ以上ジョースター家に迷惑をかけたくない。
居座らせてもらっている立場なので尚更だ。
しかし、私が首を横に振っても彼女は「家に寄りなさい。」「これ以上ここにいたら悪化する。」
などと言っては繰り返す。
これでは一向に終わらない。時間だけが過ぎていく中、
どうしようかと自然に口からヒュッ、ヒューッと空気を切っていた。
すると頑なに頷かなかった彼女は私の手に何故か傘を持たされた。
(よく見れば貴族とか持っていそうな高価なものだった)
「え、どういうことですか。」と顔を上げるとムスッと怒った表情の彼女が―――
「ちゃんと真っ直ぐ家に帰るのですよ。」
―――そう言った直後、何事もなかったように今度は彼女が雨に濡れながら去っていった。
全く予想だにしなかった私が我に返った時には既に遅く、彼女の姿は見えなくなっていた。
どっ・・・どうしよう・・・ここまでして貰った上、何も返せないなんてそんな・・・!!
あと気が付いたことが一つ。行ってしまった直前、何て言っていたのか分からなかった。
言語の壁を越えていれば―――。
「(・・・必ずっ、必ずっ!!返します!!また・・・会えるよね!?)」
そう叫ばずにはいられない思いで彼女が去っていった方向を見つめる。
名も知らない赤の他人、しかも異国人である私に無償で親切してくれた。
その優しさを受け止め、ようやく一歩踏み出した。
「(今頃皆怒ってるんだろうなあ・・・。15歳にもなって・・・何だか情けない)」
けれど、これからも同じ失敗を繰り返さないよう成長しなければ・・・!
その為にもっと学ばなくてはならない。強くなくてはならない。
"『失敗は成功のもと』だよ"―――。
小学校低学年のころ、お世話になった担任の先生がよく決まっていう諺が今になって浮かび上がった。
気持ちが入れ換えられた時、不思議と心が軽かった。
『あら?・・・よかった。雨が止んだみたいね。』
「(えっ・・・?)」
先程の女性の声がいいい、条件反射に振り返ったが、そこには誰もいなかった。
その代わりに、雨音が聞こえなくなったのを知った。
あんなに曇っていたはずの曇り空が、今では星が見えるようになっていた。
―――そしてジョースター邸に着くや否やジョナサンを始め、
執事さんやメイドさん達に激しく抱きつかれ(泣きつかれ?)、
当然ジョージさんにこっぴどく叱られた。
けれど、あの人も無事家に着いていたらいいな―――。
次に会う時は今度こそ筆記で―――否、願わくば自分の口からありったけの感謝の気持ちを伝えたい。
そう改めると、説教が四時間も苦ではないと実感した。
(その時は今度こそ、名前を聞かなくちゃ)