学校の帰り際に、いつも通っているはずの帰宅路に見慣れない光景を目にした。
人が倒れていたのだ。
しかし、わたしは慌てることなく、ごく普通に近寄った。
川に流されていたのか、服が水を多く吸って肌にはり付いている。
わたしは何かに引き寄せられるかのように、その人の顔を覆っていたの前髪を払った。
わたしとは年の変わらない顔つきの少女だった。
今まで他人に興味を示さなかったわたしは初めて、胸の高鳴りを覚えた。
―――貴女は一体・・・誰なの?
何故ここに倒れているのか、何故このような形まで至ったのか―――そんな事はどうでもよかった。
ただ、彼女のことが知りたい。そう思った時には、近くの電話ボックスへ駆け寄っていた。
***
失礼の承知で彼女のズボンのポケットの中を探ってみたが、何故か植物の『種』しか入っていない。
あとの所有物は、この懐中時計だろう。
『・・・・・・』―――
そう刻まれている文字に触れながら私は直感した。これが、あの子の名前なんだと―――。
目を覚ました時、わたしは興奮を抑えつつ、今まであった事を伝えた。
(あらやだ、わたしったら。変な声出てなかったかしら?)
どうやら彼女は、自分の名前すら覚えていないようだ。しかも、声が出ない。
まるで魔法で人間に変えてもらった人魚姫のようね。なんてロマンチック!
するとわたしは誰かしら?王子・・・という柄ではないわね。あら、いけない。
彼女は深く落ち込んでいるというのに、わたしは何を喜んでいるのッ・・・!
由花子ったら本当にいけない子。時計すら嫉妬するなんて・・・・・・醜いったらありゃしない!
だって仕方ないじゃない。名前が刻まれている裏面を見た途端、あの笑顔!
その時計を贈った人物を想っているんだと理解すると、怒りでおかしくなりそうだわ。
でも、そんなことで感情を爆発させる由花子じゃないわ。
そんな時計なんかより、これから築いていくわたしとの『思い出』がどれだけ価値があるか、
じっくり教えてあげるわ―――。
***
病院から出て、タクシーを使って数十分。
私の眼前には、花が多く植えられている一軒家が建っていた。
今日からお世話になる、由花子さんの家だ。
本当に私なんかがお邪魔して、生活に悪影響は出ないんだろうか。
「そんなこと気にしなくていいのよ?」と気遣ってくれるが、不安の動悸は一向に止まらない。
だって・・・・・・記憶がない私を、『声』が出ない赤の他人である私を!
無償で手当てしてくれるなんて・・・・・・!!
「、ここが今日から貴女の部屋よ。わたしの部屋は向かい側だから、いつでも来てね。」
「(う・・・うん)」
そう言って閉められたドアの音が、虚しく響いた。包まれる静寂。
私一人で使うには勿体ないと思う程、部屋には必要な物が揃っていた。
由花子さんと別れて(といっても家の中だが)まだ1分も経っていないというのに・・・・・・
何て孤独なんだろう。
「(こわい・・・・・・こんなにも、心細いなんて・・・!)」
けれど、居候している私がどうこう言うわけにもいかず、
夕食時に呼ばれるまで、ただ、ひたすら耐えた。
シーツを被り、子犬のように震える姿は周りからすれば滑稽に見えるだろう。
何週間も過ぎた頃、由花子さんが学校へ行ってる間でも、動悸は治まっていた。
最近では一人外出するようになっている。
大袈裟かもしれないが、二重も苦を抱え、いつ発狂してもおかしくない私にとって、
大きな一歩だ。
「(由花子さん、遅いな・・・)」
生憎、テレビでやってた今日の天気は雪マーク。窓から見える景色はほぼ一色だ。
今でも雪が深々と降っている。交通渋滞が起きているのかもしれない。
迎えに行かなきゃ・・・!
「(わっ・・・でも、そんなに深くないや)」
長靴とカサを借りて外を出たのはいいものの、由花子さんの通う学校へ行くのは初めてだ。
まず、まだそこにいるかどうかさえ謎だ。
彼女が普段通っている通学路へ行けば、会えるかもしれない・・・。
雨も混じっているのか、雪の上を踏む度に、土色に変わっていく。
降雪もあって、とても寒い。足の爪先が徐々に冷えて来るのを実感した。
「(まずいな・・・・・・迷ったかも・・・)」
ここまで来て私は何をやっているんだろう・・・近くに人、いないのかな?
もうこの際、変な目で見られてもいいッ!
「(ん!?向こうに、人影・・・!?助かった・・・!!)」
筆記の準備をして早歩きする中、距離が近づくにつれ、その影は薄らと明るくなっていく。
背の高い、学生服を着ていた男だった。その男が手に持っている物を見て、思わず立ち止った。
かなり古びた弓矢―――それをこちらに向けていた。
無意識だった。いつの間にか私は尻餅ついていて、男が放った矢から逃れていた。
どうやって避けたのか覚えていない。向こうから舌打ちが聞こえて、男は去っていった。
呆然と座り込む私をよそに、別の方向から捜していた本人が走って来た。
「・・・?こんなとこで何を・・・!?」
由花子さんに今まであったことを伝えると、一瞬とても恐ろしい表情に変貌したが、
すぐにいつもの顔つきに戻っていた。
「あたしのせいでこんな目に遭わせてしまうなんて・・・・・・ごめんなさい。
でも、が無事で本当によかったわ。最近、連続殺人が頻発してるから・・・。」
もしかしたらそいつが犯人かもしれないと由花子さんは言うが、
私は襲撃されたにも関わらず、さっきの男が、この地域で殺人をしているように思えなかった。
それ以来、あの男を目撃することはなかった。