七月一日から実施された期末試験は何ごともなく終了した。 あの日(・・・)を境に、 雄一郎達と一緒にいる時間は大幅に減った。 同じ屋根の下で過ごしている怜花とは、 近すぎず離れずの変わりない位置で留まっているものの、 の消極性が再発したようで、あまり対話していない。 あの日(・・・)の晩、皆から煙たがられていた数学科の釣井教諭が自殺したという ニュースが嘘であるかのようにいつも通りの日常だ。 それで十分なはずなのに何故、こんなにも胸騒ぎがするのか―――。 「、この後、一学期の打ち上げ行くでしょう?」 終業式が終わって皆が席に戻っていく中、怜花が訪ねて来た。 先程からチラチラと雄一郎が様子を窺っていたのはこの事か。 気まずくて自ら避けていたにも関わらず、 今も誘ってくれるなんて―――・・・。 長く間を置いてから、はゆっくりと頷いた。 ただ、その中に圭介がいない事に、何故だが寂しさを感じた。 短いHRが終わると、生徒たちは、いっせいに教室を出ていく。 いよいよ夏休みであり、誰もが、ふだんより足取りが軽かった。 一階まで下りたとき、は、圭介の後ろ姿を見かけた。 大多数の生徒と違い、なぜか玄関を通り過ぎてしまう。 が視線を追っていると、圭介は、 保健室のドアを開けて中に入っていった。 怒りで、目の前が暗くなった。 修学旅行のときの光景がフラッシュバックする。 圭介は、京都のホテルの屋上で大麻を吸い、 田浦教諭と密会していた―――しかもキスまでしていたのだ。 「(怜花のこと好きだって―――それは嘘だったの!?)」 この学校に通う以前から、怜花がいない時に圭介が告白したのだ。 怜花のことを好いているのは圭介だけじゃない。雄一郎もそうなのだ。 相手が親友であるからか、抜け駆けはしたくないという圭介が、 あんな・・・・・・。 「。大丈夫?」 「どうかしたの?」 怜花と楓子がびっくりしたように目を見開いて言う。 ≪ううん、何でもない。≫ は首を振って、無理やり笑顔を浮かべた。 二人には、特に、怜花には絶対に言えない。 もう、保健室の方を見ることはなかった。 *** 待ちに待った夏休みが始まったのにも関わらず、 終業式が終わった翌日、 また学校に行かされたの機嫌はあまり良くなかった。 しかし、今、の頭を占めているのは、まったく別のことだった。 怜花のことが、どうにも気がかかりなのである。 圭介と連絡が通じない。 今まで、こんなことは一度もなかったと怜花は心配していた。 「状況によって、いろんな訳が可能ですね。貧乏暇なし。  悪事を働くと、心は晴れない。巨悪は眠らせない・・・・・・  and so on and so forth.」 いつもなら、立て板に水のような弁舌に、つい聴き入ってしまうのだが、 今日は何故か集中できなかった。 「ここで大事なのは、the wickedです。覚えてますね?  the+形容詞は、形容詞+peopleと同じことだということを。  つまり、The youngは、young peopleという意味になります。  The young are apt to be reckless......」 カバンの中の携帯電話が振動して、メールの着信を知らせた。 は、ちらりと蓮実の方を窺ってから、机の下で液晶画面をチェックする。 メールは雄一郎からだった。雄一郎の方を見ると、かすかにうなずく。 いったい何だろう。文面を見る。『話がある。屋上で』とだけあった。 授業が終わると、は、雄一郎の方は見ずに、階段へ向かった。 すると、屋上階段の前で怜花と会った。 怜花も、驚いた表情で見ていた。 「・・・・・・もしかして、も?」 雄一郎は怜花にも同じメールを送ったようだ。 屋上への扉を開ける。真夏の日差しが容赦なく照りつけているため、 熱くなったコンクリートの上には陽炎が立ちそうだった。 こんな日に屋上へ出る物好きは、ほとんどいないだろう。 ほどなく、雄一郎がやってきた。いつになく、深刻な様子である。 ≪何、さっきのメール?≫ 授業が終わってから、話せばいいことではないか。 「俺たちが話してるところを、蓮・・・・・・教師に見られたくなかったんだ。」 蓮実と言いかけたが、雄一郎はぼそぼそと弁解する。 「どういうこと?」 雄一郎は、それには答えず、サムターンを回して屋上の扉の鍵をかけた。 「ちょっと・・・・・・。」 心配していなかったが、デリカシーがなさすぎだろう。 雄一郎は、二人の方へ向き直る。 「昨日さ、圭介の家に電話してみたんだよ。  何度かけても、ケータイはつながらないし。」 「うん。」 「お母さんが出た。圭介は、親戚の家に遊びに行ってるって。  どことは言わなかったけど、すごい田舎で、  ケータイもつながらない場所らしい。」 「そうだったんだ。」 怜花は、少しだけほっとして笑顔になった。 しかし、どこか雄一郎の様子がおかしい。 あいかわらず眉間にしわを寄せて、考え込むような表情だった。 「変だと思わないか。」 雄一郎は、屋上のフェンスにもたれた。 「変っていえば、変だけど。」 「俺たちに、何の連絡もないなんて、絶対変だよ。  ・・・・・・それで、去年、同じようなことがあったのを  思い出したんだ。」 ≪去年?≫ 「二人は、知らないかもしれない。  冬休みに入ってすぐだったけど、  圭介と連絡が付かなくなったことがあるんだ。  そのときも、家に電話してみたんだけど、  圭介は旅行してるって言うんだ。」 「そうなんだ。でも、だったら、別に変っていうわけじゃ・・・・・・。」 「ところが、あとで圭介に聞いたんだけど、そのとき、  圭介は、両親と喧嘩して、家出してたらしいんだ。」 ≪じゃあ、旅行って言ってたのは。≫ 「家出してるとは言えなかったから、そういうことにしたんだろうな。」 「ちょっと待って。じゃあ、今回も、家出してるってわけ?」 怜花は、眉根を寄せた。 「たぶん、お母さんは、そう思ってるみたいだ。」 「お母さんはって・・・・・・雄一郎は、そうじゃないと思ってるの?」 「ああ。去年と今とでは、状況が違う。  家出するにしても、俺たちに一言もないなんて、考えられないよ。  心配するのがわかってるはずだし。」 たしかに、そうだと思う。 都立**高の話をしたばかりだし、このタイミングで、 急に連絡が付かなくなったら、何かあったと考えるのは当然だろう。 約一名だけ、その輪に入っていなかったが・・・・・・。 じりじりと日差しが強くなっていく中、の体がふらふらと揺れだす。 「、保健室に行ったら?」 大丈夫だと首を振るが、怜花は頑なにすすめた。 以前、熱中症で倒れたことがあった為、 怜花は早くを屋上から避難させたかった。 からすれば、まだ話は途中なのに、 一人だけ除け者扱いされてるようで嫌な気分であった。 「、今は自分の体を心配した方がいい。  一緒に行くよ。」 ≪―――いや、いいよ。一人で大丈夫。≫ 「本当に?」 怜花は顔を覗き込んでそう言った。 は小さく頷いてから、腕がだらけたまま屋上を出ていった。 「それで、話を戻すけど、実は―――」 「ちょっと。がいないのにいいの?」 「ああ。これから話す内容はその、にはあまり聞かせたくないんだよ。」 俯く雄一郎を見て、十中八九、蓮実が絡んでいることだと、 怜花はすぐに理解した。 *** 「わたし、本当は、今日は休みなのよ。  ちょっと忘れ物を取りに来ただけだから。」 トロピカル柄のワンピースを着ている田浦教諭は さっきから呆れた表情でブツブツと文句を言っていた。 それが教師の言葉なのか、と思うより先に、 彼女が修学旅行のときに着ていた梅花柄のブラウスを思い出す。 教師の立場を利用して、圭介を誘惑していたんだと思うと、 不愉快な気持ちになってしまう。 ≪しばらく休んだら、治ると思います。≫ 「そう。じゃあ、帰るときは、ドアに鍵をかけていってね。  鍵は、校務員さんか誰かに言付けてくれればいいから。」 田浦教諭は、『保健室』というタグの付いた鍵をに渡すと、 ひらひらと手を振って出て行こうとしたが、 立ち止まって振り返り、の顔を見る。 「あなた、一組の早水君と親しかったんじゃない?  彼から、何か連絡は・・・・・・。」 はかっとなった。それが表情に出たのだろう。 田浦教諭は、「いや、いいの。」と言って、 あわてたように退場する。 頭が痛い。まだ、倒れた訳でもないのに、額にうっすらと汗が滲んでいる。 は、枕に頭を載せて、保健室の鍵を手の中で転がした。 さっきは一人でいいって伝えたけど・・・・・・ やっぱり冷たくしすぎたかもしれない。後で怜花たちに謝ろう。 ふと、手が滑って、鍵を落としてしまった。 鍵はシーツの上を滑り落ちると、リノリウムの床に当たって音を立てた。 「(いけない―――)」 は身体を起こし、床に足を付けた。 屈み込んでベッドの下を覗き、鍵の在りかを捜す。 鍵はすぐに見つかったが、そのとき、の目は、奥の方にある別の物体を捉えていた。 まさか。 は、床にぴったりと上体を付け、左腕を伸ばした。 指先で引っかけて引き寄せると、しっかりと掴むことができた。 「(そんな、まさか―――!)」 は、手にした白い袋を見て、茫然とした。 思わず、ポケットに入れてあるお守りを出して交互に見た。 みんなで一緒に買った、金閣寺のお守りである。 自分が買ったのは『厄払い』。怜花と楓子は『学業成就』。 雄一郎は『心願成就』だった。 そして、が握りしめているお守りには、 圭介と自分が買ったものと同じ『厄除け』の文字があったのだ。