爆音が降り注ぐ。怜花とは、空を見上げた。 校舎のすぐ上、撃てば当たりそうな高さを、軍用機が横切っていた。 厚木基地を飛び立った、米軍の戦闘機だろうか。 この音だけは、本当に、何とかしてほしい。 「だけど、誰が、こんなことしたんだろう?」 隣で溜め息をつく怜花の一声で、も花壇に視線を戻した。 つるバラの支柱が一本、根本から引っこ抜かれている。 その支柱は、どこにも見あたらなかった。 「すぐそばで車がクラッシュしてるのに、花壇の心配をするのは、 怜花くらいなもんだろうな。」 夏越雄一郎が、感心したように言う。 夜中に正面衝突したレクサスISとRX-8は、今、 青いつなぎを着た作業員たちによって、ようやく撤去されるところだった。 「だって。このままじゃ、つるバラが枯れちゃうじゃない。」 ≪ずっと育てて来たんだもんね。≫ 転校前から、怜花がつるバラを育てていると聞いていたので、 どれだけ心配しているのか、は分かっていた。 「事故のとき、車に引っかかって、抜けたんじゃないかな?」 雄一郎は、まったく関心がないらしく、適当なことを言う。 ≪ありえないでしょ?ここからかなり、場所が離れてるし。≫ 「それに―――どうして、一本だけ、こんなに器用に引っこ抜かれるのよ?」 「わかったよ。そんなに怒るなって。」 雄一郎は、腹を立てている怜花を宥めた。 「まあ、普通に考えりゃ、誰かの悪戯だろうな。」 「だとしても、いつやったんだ?」 背後から声が聞こえたので、振り返ると圭介が立っていた。 雄一郎とは違い、真剣な目で花壇を見つめている。 「そりゃ・・・・・・昨日、帰るときはまだ異状なかったし、 夕方から、今朝までの間だろう?」 「車がぶつかった前か、後かってことだよ。」 「そんなこと、あるわけ・・・・・・あ、そうか!」 雄一郎は、何かに気づいたように叫んだ。 「そういうことだったんだ。間違いないな。事故の直後だよ。」 「どういうこと?」 怜花同様、も全然、意味がわからないと首を捻る。 「つまりだな。車がぶつかって、真田先生が、 中に閉じ込められてたわけだろ? だから、誰かが、真田先生を助け出そうとして、 ここにあった支柱を使ったんだよ。」 ≪支柱を、どう使うの?≫ は、まだ納得できない。 「だから、ドアをこじ開けるのに、梃子にしたんじゃないかな?」 雄一郎は、すでに、自分の思いつきが真実だと確信しているようだった。 「竹の棒で、車のドアがこじ開けられるか?」 圭介は、疑わしそうに言う。 「実際、役に立ったかどうかまでは、わからないよ。 だけど、少なくとも、その誰かは、 そういうつもりで支柱を引き抜いたんだと思うよ。」 「まあ、あわててたら、そういうこともあるか・・・・・・。」 圭介は、半信半疑という顔で、矛を収めた。 「でも、だったら、その竹の棒は、どこへ行ったの? 使った後は、その辺に放り出してあるはずじゃない。」 怜花は、まだ食い下がる。 「そこまでは、わからないよ。 車の下にあったのかもしれないし。」 雄一郎は、怜花のしつこさに辟易したようだった。 「いや・・・・・・ちょっと待てよ。もしかしたら、そうじゃないかもしれない。 別の解釈もできるんじゃないか?」 圭介の目が、輝いた。 「どんなの?」 怜花がそう訊ねてから、は圭介の顔を見て驚いた。 現れたばかりの自信に満ちた笑みが消えて、 総毛立つような表情に変わっているのだ。 「そうだ。支柱が引き抜かれたのは、事故の直後じゃない。 ・・・・・・直前だったんだ。」 *** 「今どき、高校の修学旅行が京都って、どうよ?」 雄一郎は、新幹線に乗ってから、ぼやき通しだった。 「去年はオーストラリアだったし、その前だって韓国だったんだろう? 何で、今年だけ急にしょぼくなるわけ? 高校生活最大のイベントが中学のときと同じって、ありえないだろう?」 ≪いいんじゃない?京都だって広いんだし、 その時回れなかった場所も行けるチャンスがあるじゃないか。≫ 「・・・ん?は中学のときとは違うの?」 ≪いや、雄一達と同じだよ。ただ個人的に京都が好きなだけ。≫ 雄一郎のぼやきを聞きうけていただったが、 先程から浮かない顔をしている怜花に、そろそろ訊ねようと隣に顔を向けた。 ≪どうしたの?気分悪い?≫ 「そうじゃないけど・・・・・・。」 の言葉に、雄一郎はようやく気づいた。 怜花の表情からして、健康状態がどうという感じではない。 けれど、何だか心が重いと言っているようでならない。 「なんだか、嫌な予感がするから。」 「どういうこと?」 「よくわかんない。でも、わたしたちの知らないところで、 何かとんでもなく悪いことが進行してるみたいな気がする。」 雄一郎は、眉をひそめた。 普通なら一笑に付すところだが、 よりかなり短い去年一年間の付き合いでいながらも、 怜花の勘の鋭さはよく知っているのだ。 「うーん。ただのノイローゼじゃないかって言いたいけど、 怜花の直感って、変に当たるからなあ。 悪いことって、たとえば事故が起きるとか?」 「超能力じゃないんだから。・・・・・・そうじゃなくて、 最近、うちの学校で起きてることって、何だか嫌な感じがしない?」 「そりゃあ、あまり、いい感じはしてないけど。」 怜花の言うことに、も神妙な顔付きで頷いた。 この車両にいる生徒達は皆、屈託もなく、おしゃべりに興じている。 このところ立て続けに起こった事件のことなど、忘れたかのように。 「でも、見ろよ。清田だって、火事で親父が死んだばっかっていうのに、 元気に参加してるし。」 二つ後ろの席にいる梨奈の方を振り返った。 笑顔で、隣の生徒と話している。 あれっきり、学校の近くで警察官の姿を見ることもなくなり、 どうやら梨奈に対する放火の容疑も晴れたらしかった。 「でも、もっと変だと思ったのは、真田先生の事件よ。」 「何言ってんだよ?怜花は、真田や堂島より、 つるバラの心配してたじゃないか?」 「あのときは、まだ、事態の深刻さがわかってなかったから。」 怜花は、溜め息をついた。 「真田先生も、刑務所に入れられるかもしれないなんて、 思ってもみなかったし。」 「おーい。どうしたんだー?このへんだけ、空気がよどんでるぞ。」 教師かと思って目を上げると、三人を見下ろしているのは圭介だった。 わざわざ、隣の車両からやってきたらしい。 通路側の空いている座席に、圭介が腰を下ろした。 「今、真田の事故の話をしてたんだ。怜花が、変だって言うから。」 雄一郎が説明する。 「・・・・・・うん。たしかに、あの事故は、怜花が言うように変だよ。」 ≪泥酔した後、夜中に車で学校へ戻って来る人って・・・中々いないよね?≫ 圭介が表情を変えずに言った後、 は気になっていたことをスケッチブックに書いて見せた。 「でも、酔っぱらってて、正常な判断力が失われてたんじゃないかな? 何か、忘れ物を取りに来たのかもしれないし。」 「翌朝じゃダメで、どうしても、その晩のうちに必要なものか? ありえねえよ。」 雄一郎と圭介が話を進める一方、は無言で俯いた。 自分を気にかけてくれた真田先生が・・・・・・今でも信じられなかった。 とても事故を起こすような人ではないはずなのに。 「変だと言えば、同じ小学校の生徒がその学校で無理心中したというのも そうじゃねえか?」 「ちょっと!」 ≪いいよ、怜花。≫ 無理心中したその生徒が、 をいじめていた同級生であったことを知っている怜花は声を上げた。 しかし、は至って冷静な顔で、怜花をなだめた。 その上、≪話を続けて。≫と催促したのだから、 怜花は驚かずにいられなかった。 「受験に追われてのストレスとか、そういうのだったら何となく 分かるんだけどさ、何でわざわざ地元の小学校でやる必要があるんだ?」 「そりゃあ・・・・・・思い出の場所だから?」 「それだったら他にもたくさんあるはずだろ? 第一、集団自殺をするなら一目のつかない森とか、そういうとこだろ?」 次々と発する圭介の言葉に、考えてもみなかった思考が働き始める。 亡くなった場所について、そんな深く考えていなかったが、 今脳内では疑念ばかりで膨らんでいる。 自殺したい気持ちなんて、そんな簡単に浮かんでは来ないが、 自ら死ぬことは、やはり一人だけは抵抗があると思う。 そうなると、集団でやることは不思議ではない。 しかし、彼らは本当に、心中しようと考えていたのだろうか。 いくら考えても、疑念が晴れることはなかった。 「・・・・・・あーあ。やっぱ、この修学旅行、マジひどいわ。」 圭介が、伸びをしながら首を振る。 「何の話?」 「後ろ、よく見てみろよ。ファンタスティック4が、全員揃ってるじゃん? 君たちは、鈍感力が勝れてるから平気かもしれないけど、 俺なんて繊細だから、もう生きた心地がしないね。」