のぞみ号が京都駅に着くと、
晨光町田高校の生徒たちと引率の教員たちは、
送迎バスに乗って、二条城の向かいにあるホテルに向かい、
チェックインして、昼食をとる。
一斑は原則四人で、学校が一括契約したタクシーに乗り、
あらかじめ提出した行動計画に従って神社仏閣などを訪ね、
あとでレポートを出すことになっている。
京都に行きたがっていたにとって今回の修学旅行は楽しみで仕方がない。
人数関係というのもあって、怜花と楓子、雄一郎、雅彦の班に入れてもらえた。
タクシーを使うという所に関して、
中学とは訳が違うな、と変に関心した。
「外人ばっかだなー。」
後ろから、聞き覚えのある声がした。
振り返ると、圭介が立っている。
「あれ?圭介の班も、スタートは金閣寺にしたの?」
「ああ。面倒だから、雄一郎に聞いて、残りも全部一緒にした。」
≪ということは、この後は、清水寺と二条城?≫
「そ。まあ、京都で、他に見るとこなんかないっしょ。」
そんなことないと思うんだけどな。
心の中で、はそう呟く。
だが修学旅行中でも一緒に過ごせるのは正直嬉しかった。
隣にいる怜花も、満更でもない表情だった。
「おー。お守り、買おうぜ。」
茅葺きの売店を見つけると、急に圭介が言い出した。
怜花と雄一郎がそれに倣い、結局、九人ともお守りを買うことになった。
怜花と楓子は受験を控えている身として、迷わず『学業成就』を選ぶ。
雄一郎は『心願成就』で、圭介が買ったのは、『厄除け』のお守りだった。
「も『厄除け』なんだね。」
「(うん)」
『学業成就』か『厄除け』にするか迷ったが、
結局圭介と同じものを選んだ。
たちは清水寺に入るとすぐ、随求道という建物にある
『胎内めぐり』という看板が目についた。
なぜか俄然乗り気になった圭介に誘われて、全員、参加することにする。
拝観料百円を払い、靴をビニール袋に入れると、
左手をロープのように張られた数珠に添えて、
真っ暗な階段を下りていく。
後ろで、数人が大声ではしゃいでいたが、
のすぐ後ろにいる怜花は、
あまりにも濃密な暗闇に圧迫されて、声が出なかった。
小さい頃、よく押入れに隠れて暗闇の中を楽しんでいたのを思い出す。
すると、背中に指先が当たる。制服をつかまれた感覚だ。
怜花に頼られているんだと思うと、尚更守らなきゃ、と
小学校時代に抱いた使命感というのを再認識した。
大随求菩薩の胎内を意味するという暗闇の中を歩いている時間は、
ごく短いものだったに違いない。
やがて、かすかな明かりが差して、後ろがほっとしているのを悟る。
そこにあったのは、大きな石造りの円盤だった。
悲母菩薩を象徴するというハラという梵字が書かれている。
「祈りながら、これを廻すらしいね。」
と怜花は、ゆっくりと円盤を廻した。
もっといろんなことを祈るつもりでいたのだが、
が念じていたのは、ただ一つのことだった。
このまま、みんなが無事に卒業して、笑っていられますようにと。
***
夕食が終わると、後は自由時間だった。
ジャージー姿の生徒たちは、思い思いに過ごしながら、
互いにの部屋を行き来して、束の間の開放感を味わっていた。
はツインにエクストラベッドを入れた三人部屋で、
同室の小野寺楓子、去来川舞、そして怜花と筆談をまじえて
おしゃべりに興じていた。
そこへ、牛尾まどかと柏原亜里がやって来たので、
六人でUNOを始める。
白熱したバトルを繰り広げる中、
雄一郎を含めた三人の男子がやって来たことで、
剥き出しの闘争心は影を潜め、
ゲームの流れに乗って会話を楽しむような雰囲気になっていた。
「・・・・・・晩ご飯、美味しかったねー。」
まどかが、ほんわかとした調子で言う。
「うん。京風って薄味と思ってたけど、しっかり味付いてたし。」
楓子が、うなずく。
「わたし、魚は苦手だけど、
あの鮎は、けっこう好きかも。」と言ったのは亜里だった。
「そうだね。まだ稚鮎だけど、天ぷらだから丸ごと食べられるしね。」
いつもほどは目が鋭くない不動の学年トップの渡会健吾が、
グルメ評論家のような生意気な口調で言った。
さっきから、しきりに相づちを打っているのは、
亜里に対してだけである。
「うー。言っちゃおうかな・・・・・・。」
雄一郎が顔をしかめ、赤いカードを捨てながらつぶやく。
「何?」
雄一郎が珍しく不機嫌になっているのに気づき、
怜花とは怪訝に思った。
「いや、晩飯のことなんだけど、俺たちと先生で、時間がずれてただろう?」
俺たちは、みんな宴会場みたいなとこで、あっちは別室だったじゃん?」
「だから?」
「俺、飯が終わってから、行ったんだよ。先生たちが飯食ってるところ。」
「えー。何しに?」
「それは、別に、たいした用じゃなかったんだけど。
それで、職員室みたいに、
失礼しますって言いながら部屋のドア開けたら、すごくあわてててさ。
酒井教頭は、何しに来たんだって目で見るし、柴原が、すぐに立ち上がって、
追い払いに来るんだよ。」
全員が、いつのまにか、UNOを中断して、
雄一郎の話に聞き入っている。
「なんで、そんなにあわててたんだ?」
雄一郎と健吾より、鼻から上くらい背が高い山口卓馬が、
全員を代表して、疑問を口にする。
「あいつらさあ、俺たちと、違うもん食べてやがったんだ。
あきらかに、向こうの方が、数段、豪華だった。」
「ええー?」
「最低。」
「マジ?」
口々に、怒りの声が上がる中、「行ってスクープしてきてよ!」と
舞が途中から入って撮影に熱中している中村尚志に言ったが、
当人は亜里の怒った顔を記録するのに夢中らしく、反応はなかった。
***
は怜花と圭介を捜しに二手に分かれ、
途中同じクラスの脇村肇に圭介を屋上で見た、と教えてもらった。
怜花の携帯電話にメール送信してから先にエレベーターに乗る。
エレベーターが止まって、が屋上に出ると、入れ違いに、
誰かが階段に姿を消した。
ヒールを床に打ち付けるような勢いだったので、
かえって気になって、後ろ姿を確認する。
女性だ。ジャージーを着ていないので、生徒ではないが、
一般の宿泊客でもなかった。
浴衣のような梅花柄のブラウスに、見覚えがある。
いつもとは様変わりした、お洒落な姿が新鮮だったからである。
あれは、絶対、養護の田浦潤子教諭だった。
でも、なぜ、あんなふうに走り去っていったのだろう。
まるで、エレベーターの音に気がついて、
あわてて逃げ出したかのような・・・・・・。
それから、屋上には、ほとんど人気がないことに気がついた。
誰もいないのだろうか。は、屋上を一回りしてみることにした。
すると、景色などまるっきり見えそうもない、
隅っこに佇んでいる人影を発見した。
ひょろりとした長身は、紺に白いラインの入った晨光町田の
ジャージーを着ている。
「(圭介?)」
がそっと近づくと、ぎくりとしたようだった。
≪こんな所で何してるの?≫
「いや・・・・・・別に。」
言葉少なだったが、あきらかに狼狽している。
煙を散らすような仕草に、ピンと来た。
ここで、タバコを吸っていたのか。まったく、何をやってるんだろう。
だが、圭介に近づき、は、自分が錯覚していたことに気がついた。
タバコとは違う、草が燃えるような甘ったるい臭い・・・・・・。
≪まさか、大麻やってるの?≫
タバコどころではない。見つかったら、間違いなく退学ものだろう。
「違えよ・・・・・・。」
圭介は、否定したものの、そわそわしていて、かなり挙動不審だった。
は「ならこっち向いて!」と言うかように圭介の肩をつかんだ。
無理やり振り向かせたは、絶句した。
圭介の口元に、赤いものが付いているのが見えたのだ。
口紅だ。
田浦教諭。
頭の中で、稲妻のように、すべてが符号する。
あまりのことに、どう反応していいのかわからない。
もはや、怒りすら感じなかった。
「。あのさ・・・・・・。」
圭介が、おずおずと手を伸ばしたが、振り払うのさえ嫌だった。
は、身を躱すと、まっすぐに、その場を歩き去ると、
タイミングがいいのか悪いのか、にとって今一番居合わせたくない
人物がやって来て内心ぎくりとした。
「?どうしたの―――」
エレベーターに駆け込むように階数ボタンを押すまで、
一度も振り返らなかった。
怜花は一体何があったのかわからない様子で、
ドアが閉まるのをただ黙って見届ける圭介をチラリと見たのだった。