武田に仕え、主からの命がない時でも自ら判断して行動する。
奥州筆頭や井伊直虎には自分の飄々とした性格が食えないやら、
気に入らないやらと言われる始末だが、忍として一流だと自信持って言える。
少しでも有利な体勢を整える。己に後ろに立つ大将らは構えているだけでいい。
しかし、この世は戦国乱世。不本意であれ、睡眠時間を削っても敵は増える一方。
夜の闇に紛れて上田城に何者かが忍び込んだ。他の連中は一体何をやっているのやら。
見張りの強化の前にきつく言っておかなくてはと、猿飛佐助は溜息混じりに宙を仰いだ。
警告とは誰の為か
天井裏から例の侵入者を捕え、軽く捻ってやるとすぐ抵抗をやめた。近くに一つの気配。
一旦城外へ飛び降りると、その気配の主がギョッとした顔で此方を見ていた。
よく見るとまだ子供で、しかも女と来た。織田にいる魔王の子と同じくらいの年か。
こんな時代からとはいえ、成長盛りの少女に忍の真似事させるなんて世も末だと思う。
少女の袖には豊臣の家紋がある。
「見たところ豊臣の忍か・・・・・・俺様も嘗められてるねー。」
軽い口調で言いながら大型手裏剣を上下に回す。
少女はじっと此方を見据えたまま微動だにしない。
「まあ、ここまで来れたことは褒めてやるよ。」
そう言ってやる自分は優しいなと心中に自賛する。
少女の目線は此方を見つつも、時折足元に蹲ってる自分の仲間を見ていた。
どうすれば仲間を救えるのか。だが目の前にいるこの自分を倒すなんて無謀。
嗚呼、なんて分かりやすい目をしているんだ・・・・・・。
まだ子供だからなのか、忍見習いだからか、とても忍とは思えない。
「・・・・・・目が震えてるよ。その様子じゃ初仕事ってことか。」
指摘すれば小さな肩が震える。訓練して間もない。
人の感情を捨てぬまま忍になろうとなんてこの先が思いやられる。
一応敵地の中に侵入している訳で、そう簡単に帰すのも何だし、
だからといって子供を手にかけるのも気が引ける。
彼方はどうしても、このお仲間を救出しないと気が済まないようだ。
嗚呼、面倒だと頭を乱雑に掻いた。ふと、塀の向こうから気配を察知する。
少女が片足を一歩前に出した瞬間、その気配の主が投げた苦無が彼女の足元に突き刺さる。
あいつが頭か・・・・・・。
「何をしている。退くぞ。」
「う・・・で、でも、」
「ああ、いいよ。こいつも連れてさ。こっちで処理するのも面倒だからね。」
佐助はさあ、どうぞと言わんばかりに大袈裟に背中を向けてみせる。
顔には出さないが、やっと厄介払いができると内心笑みを浮かべた。
背後で二つの気配が塀の上を登るが、もう一つの気はその場から去ろうとしない。
あの少女だ。見ないふりしてやってんだからさっさと行ってくれ。
そう思う一方、背中に視線が突いたまま。
「(何なの・・・?あの子は一体、何がしたいの?)」
苛立ち始め、ここは睨みを利かせようかと首だけ動かした。
少女は目が合うと、佐助に向けて頭を下げた。思わず目を見開いた。
あの子は一体・・・・・・自分がしたことを分かっているのか?
仮にも敵である自分に礼なんて―――。
汚い仕事ばかり請負って、敵に感謝されることなど一度もなかった。
何年もこの世界に浸かって冷静で保っていたはずが、何処かで動揺している自分がいる。
あの晩を境に、佐助は少女を忘れずにいた。
一度しか会っていない忍見習いである幼女を。何故と問う前に無理やり頭から振り払う。
それでも小さな体を折り畳むように頭を下げる姿が脳裏にちらつく。
自分がいつも通りに仕事をしている中、彼女は特訓を続けているのだろうか。
またあの時のような場面に・・・・・・?
否、ありえない。
相手はまだ子供だから、自分の力を過信して見逃してやったんだ。
あの様子からして、今後任務から外されるのは目に見える。
彼女が一人になったのを狙って警告するんだ。
情を持つ忍は生きていけない。後々苦しむのも、悔やむのも自分なのだと。
そうだ・・・忍である自分が強く言わなければならない。忍の世界の厳しさを説かなければ。
己がせずとも、その内誰かが説得するであろう件に何故佐助自ら動くのか。
本人はまだその事に気付いていない。
***
雑用を頼まれ、最近地味な仕事しか回って来ないことに官兵衛はひどく不満を抱いていた。
刑部め、このくらい自分でやりやがれ!
押し付けた本人不在であることをいいことに、絶賛愚痴を溢した。
大股で廊下を進むと縁側の向こうから小さな影が横切る。
その影を、この城の中では長い付き合いである官兵衛はよく知っていた。
「よお。相変わらず精が出るな。」
「かんべ〜〜〜。」
「って苦無を持ったままこっち来るな!危ないだろ!」
「あう゛・・・ごめん。」
特訓の最中であろう苦無を指して官兵衛は大袈裟に腕を広げる。
はすぐに懐に仕舞うと改めて官兵衛に近づいた。
「今日も随分やりこんだな。泥ついてるぞ。」
「・・・いだい。」
「すまん、力の加減を忘れた。」
手拭いで泥を拭き終えたものの、顔には若干砂色が残っている。
それでも、は満足した顔で礼を言った。
素直に言う所を、あの陰気な男も覚えてほしいと何度ぼやいたことか。
は苦笑いを浮かべた。
「そういや、さっきの苦無錆びついてなかったか?
そろそろ替えた方が良くないか?」
「う゛〜・・・こにゃいだ、替えた、ばっか・・・。」
「そりゃあ、お前さんの使い方に問題があるんじゃないのか?
見てやるからちょっとやってみろ。」
「う゛!」
官兵衛に言われるがまま、
は縁側から下りて目の前にある木に向かって苦無を投げようとした。
すると、周りに風圧を感じて官兵衛は思わず目を見張る。
風を纏った苦無はビュッと空を切って木に当てることなく、
その木に大きな孔をあけて、そのまま城を囲む塀にぶつかった。
はらはらと葉が宙を舞って落ちていく。その場にいた二人は呆然と立ち尽くした。
が呆けているその後ろで「ぎゃあ!」という短い悲鳴と鈍い音が聞こえた。
音もなく神輿に乗って現れたのは大谷吉継だ。
(後ろに官兵衛が痙攣しながら伸びている)
「ほう、ぬしも婆娑羅が使えるのか・・・これは初耳よ。」
「う゛ちも、今知った。」
「『風』・・・・・・左近とやらも同じ属性であったな。」
「う゛!かじぇ!」
が純粋に喜ぶ中、大谷は何か思い出した素振りで話を変えた。
「・・・して、よ。」
「近々、戦に参加するようだな。」
「うん。」
「戦だぁ?当分は待機だって言われてなかったか?」
「そろぞろ・・・お前も゛、い゛くしゃ、慣れる頃だ、って。」
忍頭が決めたんだと伝えると、官兵衛は顔を顰めたままである。
半兵衛に世話をしろとあの頃は嫌々でやっていたが、今ではすっかり親の顔だ。
(あいつは・・・半兵衛はこの事を知っているのか?)
忍見習いをやっているとはいえ、子供が戦に出ると聞いて良い顔はできなかった。
そんな中、「われの不幸が移ったかもしれぬなあ。」と大谷は相変わらずだ。
思わず声を上げた官兵衛だが、即行で大谷の数珠が飛んで来て、
先程と同じように哀れな姿になるのだった。
***
今回、が参加する戦の相手は豊臣を以前から敵対している。
覇王が率いる豊臣は織田にも負けぬ力をつけてきたが、敵軍も負けじとおして来る。
戦を有利な方向へ導くのも忍の役目。
表舞台に姿を見せない分、行動に徹しなければならない。
木々を飛び移りしながら、自分と同じ風を巻き起こして敵を蹴散らす島左近を横目に、
できるだけ素早く仲間達のあとを追いかけた。
『戦は化け物』―――戦国乱世の恐ろしさをまだ彼女は知らない。
2015/01/19