極限状態の中、私は何故ジャーナリストになったんだろうと自分に問いかけた。 今思うと父が名のあるジャーナリストであるが故、 彼の娘であるからという好奇と期待の視線から逃げたくて、 引っ込み思案な性格になってしまったのだろう。 だから私の意見を通さず、流されるままにその職についてしまった。 嫌々ながら現場で父の手伝いをしてる中、一人だけ違う行動をしている男と目が合った。 急に話しかけるなり、彼は私を一見してすっぱくして言う。 「アンタ、この仕事に向いてないよ。」 初対面でいきなりこの言葉を突き立てられて大抵は憤慨する所なのだろうが、私はそうですねと答えた。 望んでここにいる訳ではないのだから当然である。 だが彼はその答えに納得していないようだった。 それからというもの、彼、マイルズ・アップシャーは私に声をかけては、 何かと無理な注文を寄越してくる。 マイルズは誰も行きたがらない現場へ飛び込むし、父の娘だからと接してる訳ではないし、 とにかく変わった人だ。 正義感を翳してる風ではないが、一直線に突き進む点はどこか父と似ている。 無事再会できたら一発殴る前にどんな理由でジャーナリストを始めたのか聞いてみよう。 ここから脱出できればの話だが。 *** 進めば進むほど死体や血で溢れる一方で、出られる見込みがない。 肝心の連れ出した張本人は見つからない。は思わず、くそっと毒を吐いた。 この腐った施設の空気のせいか、それとも惨状を見慣れてしまったせいか、 恐怖よりも苛立ちが勝っていた。 鍵がかかった出入口をひと睨みして中を歩き歩くと、酷い臭いが鼻の奥を刺激される。 小さな灯りがある部屋をおそるおそる覗く。 これは・・・・・・何なんだ? 夥しい数の死体が天井に吊るされている。 死体なんて散々見てきたが、明らかに意図のあるやり方だ。 一体何のために? 数人掛かりでないとできないと思うが、すぐにその考えを捨てた。 グループとなって襲ってきた奴らからは怒りと、ほんの少しの欲望が見えていた。 見つかった資料から考察して、患者たちは今まで酷い扱いをされてきたとわかる。 生体実験をされ続けて正常を維持できるのは、ありえなくもないとはいえど、ほんの僅かだろう。 そんな彼らが一々、器用な真似をするのだろうか?すると、の耳に何かの音を拾う。 ・・・いや、音ではない、人の声だ。 それも、気持ちよさそうに歌っている。 ここに来てから怒声や泣き叫ぶ声に当てはまらないものだ。 だから余計に不安を煽る。こんな所で歌えるなんて正気ではない。 歌声が近づいてくる中、どこか隠れる場所はないか辺りを見渡す。 あそこに通気口がある――― 迷わずそこに飛び込んで別の部屋に入った。歌声は聞こえない。 見つかる前に一旦、この建物から離れるべきだ。そんな予感がしてならない。 まだ見ぬ人物に警報を鳴らす一方で、第三者の存在に気づかなかった。 「誰だお前は?どこから入ってきた!?」 「う、がっ・・・」 背後から羽交い締めにされ、呼吸が途切れる。 手足を動かそうにも両腕は固定され、酸素が行き届かなくなったのもあって足に力が入らなかった。 視界に霧がかかってきたと思った途端、フッと首に回っていた腕の感触が消えたと同時に、 体が床に叩きつけられた。盛大に息を吸いながら嗚咽を漏らした。 ようやく落ち着いて、は自分が襲われたのを思い出す。何が起きたんだと周囲を見渡した。 自分が出て来た所とは別の通気口に、誰かが頭を突っ込こんでいる。 否、正しくは『別の人間に突っ込まれている』だ。 その近くに、知人よりも身長がある大きな陰が立っていた。 すると、陰がこちらに振り向いたように見える。 「ああ・・・なんてことだ。大丈夫か?怪我はないか?」 とても穏やかな声だが、暗闇から出て来た顔には血がこびり付き、両目には狂気で満ちていた。 全然大丈夫じゃない。 それでも、自分の身に危険が一つ消えたのは事実であると、はお礼の言葉をかける。 「ええ、どうも・・・ありがとう、ございます・・・」 今すぐこの部屋から逃げたい。 先程の襲撃のせいか、腕に―――脚に力が入らない。 身体のいうことがきかず、内心焦るの前に影が覆った。 「ひっ・・・!」 「ふむ・・・特に悪いところは見当たらないな」 大きな手が断りもなくの腹部に当てた。 何故、真っ先にそうするのか訳がわからなかった。親切心からだとか、そういう問題ではない。 条件反射に目の前にいる男の頬を張り飛ばした。 乾いた音に、じんじんと熱くなる掌からなる痛みに、次第に冷静さを取り戻した。 「何故・・・君はこんなことをするんだ?」 困惑めいた声が自分の頭上に浴びられる。 被害者はこちらのはずなのに、怖くて顔を上げられない。 「一瞬だったが、君の姿を一目で運命的なものを感じた。  それを確かめたかっただけなのに・・・・・・」 此方を威圧するような物言いに思わず、その顔を見てしまった。 今まで見た狂気と怒りで満ちた顔に、憎悪が少し加えられている。 の中で、何かが切れた。 「さっきから一体なんなんだどいつもこいつも!  私の話を聞かず得物を振り回してふざけるなよ・・・」 咳を切ったように喋り出した彼女に、男は固まった。 さっきまで大人しかった彼女が突然声を荒げたのだから当然の反応である。 「“何故こんなことをするんだ“って・・・?それはこっちのセリフだ。  許可もなく人の身体を触れるのは私を人して見ていない―――痴漢と同じだ!  運命を感じるか感じなかったなんて関係ない。もし自分がその立場だったら、何とも思わないの?」 今更遅いと分かっているが、この施設の人間にいくら正論を言ったって意味はない。 話が通じるのならとっくに事は終わってるはず。 それでも口に出したのは、が今まで我慢に我慢を重ね、今回の事件が引き金となったからだ。 ただ単純に、彼女の本音を曝け出しているにすぎない。 しかし、この状況が解決できるとは言い難い。の言葉を真に受けたのか、男はピクリとも動かない。 は男の視界に入らないよう、上手く後ろ手でズボンの裏に隠していたキッチンナイフを掴む。 すると、身じろぎしなかった男が体を小刻みに振るわせ、何かに怯え始めた。 怒りを孕んでいた目から一滴溢れる。 「ああ、許してくれ父さん・・・二度と言わない、絶対に言わないから・・・!  ううう・・・もう、やめてくれ・・・!」 男の変わり様に、は狼狽えた。 泣きたいのはこっちなのに、まるでこちらが悪者ではないか。 明確には知らないが、彼が過去に何らかの出来事があり、子供のように怯えて泣くほど、 彼の人生を狂わせたのだろう。 多少は同情するが、今なら逃げられる。 分かっているはずなのに―――ナイフから手を離し、真新しいハンカチを彼に差し出していた。 恐る恐ると声をかけるとピタリと涙声が止まった。 黄色い目がこちらに向けられ身を固くするも、ぐっと堪える。 「これ、使っていいんで、それじゃあ・・・」 「待ってくれ。」 このまま部屋を去っていればよかったが、そう上手くはいかない。 彼は困惑した表情で口を開く。 「さっきは・・・先程のことは本当に、すまない・・・  俺が追い求めていた少女のような子なんじゃないかと一人舞い上がって、君を傷つけた。  けど確信したよ。非があるはずの俺に手を差し伸べてくれる君こそ花嫁にふさわしい・・・!」 迷路のように入り組んでいた部屋で遭遇したデニスという二重人格者の言葉を思い出す。 “新郎に花嫁を運んでやる”と―――そして、 先程見た吊るされた無数の死体という光景から最悪の結末に辿り着く。 ひゅっと呼吸を乱す。 「わ、悪いけど、私は貴方とは結婚しない。  お互い・・・まだ会って間もないじゃないですか。」 「もちろん、俺も君のことを全て知りたい。君も、俺のことを知ってほしい・・・」 「わっ」 先程腹部に触れていた大きな手がハンカチごとの手を包み、直に伝わる体温に思わず声をあげた。 「!・・・す、すまない、また許可なく触れてしまった・・・」 「あ、えっと・・・大丈夫、です・・・?」 すかさず謝った男に、は曖昧な返事を送った。 彼に心を許してはいないが、手を握られて何故か嫌だと感じなかった。男は嬉しそうに頬を緩める。 「さあ、こんな所で立ち話してはもったいない。俺の部屋へ案内しよう」 「えっ」 いくらなんでも急すぎなのでは!? 命とは別の危機を感じ始めたの心情を読み取ったかのように 「安心してくれ、何もしない」と男は言う。 「俺にあれだけ自分の思いを言ってくれたんだ。その気持ちを尊重しないわけにはいかない。  ただ・・・俺のありのままの姿を見てほしいんだ」 男は恭しく手を差し伸べた。どうか拒まわないでくれと眼差しを送られる。 やはりあの時ナイフを刺してでも逃げ切るべきだったと思う。 だが、それも過ぎてしまえばどうにもならない。この手をとっても断っても死。 相当なリスクになるだろうが、賭けるしかない。 「分かった。約束ですよ、新郎さん」 生き延びるために、その間だけ貴方に付き合おう。 2018/03/25