/大字粗戸/バス停留所付近
数か月前/12時27分57秒
車に揺られること数時間。
フロントガラスから見えるビルの景色が田舎風景に様変わりする。
運転席の叔母、草子とほぼ27年ぶりとなる会話もなく、
は流れる景色を眺めた。
暫くすると昔、まだ移住する以前の地域である大字粗戸が見えてきた。
あの土砂災害から長い年月が経ったそこは、
何事もなかったかのように懐かしい風景が広がっている。
「27年も経てば、建て直せるわよ。」
の心情を察した草子はそう言った。
「それで・・・・・・家は、」
頭では分かっているはずなのに、は小さく呟く。
「ないに決まってるじゃない。全壊になったの、見たんでしょ?」
当然の答えのはずが、草子の口調のせいか、何だか冷たかった。
昔住んでいた家がなければ、幼馴染の多聞の家もない。
災害の跡は消えたが、昔の思い出の跡をもなくなってしまった。
暫くお世話になる草子の家に向かう車はそのまま大字粗戸を通り過ぎていった。
***
牧野は覚束ない足取りで教会とは反対の方向で刈割をうろついていた。
義父が全うできなかった秘祭を成功させるための大役、
羽生蛇村の信仰の中心となる求導師に任された。
村人からの期待と圧力。
気の弱い牧野には重すぎる代替わりだった。
数十年に一度、村人達にも秘密裏に行われる聖婚の儀式まであと数か月。
27年という歳月が、今は短く感じてしまう。
秘祭が無事に成功し、この不安という重圧から解放されたい。
そろそろ教会へ戻らなければ・・・・・・。
先程より足が重くなる。何度目となる溜息をついた。
じゃり、と前方から砂利を踏む音がする。伏せていた視線を上げた。
棚田に見慣れない人影がある。空に浮かぶ夕日を眺める女が立っていた。
幼さが残る顔立ちとは反対に、若々しい黒がない白髪。
明らかに普通とは離れた出で立ちに、牧野は魅入っていた。
その視線に気づいた彼女が此方に振り返った。
「・・・こんにちはー。」
「あっ、ど、どうも、こんにちは。」
澄んだ声とは裏腹に間伸びする口調だった。
我に返った牧野はどもらせつつ挨拶を返した。
ずっと見ていたとバレてしまった。自分の顔が火照っていくのが嫌でも分かる。
当の本人は気にする様子もなく、一人のほほんとしていた。
「あの・・・何を、していらっしゃるんですか・・・?」
牧野は恐る恐る無難の質問を投げてみた。
「診察から帰る途中、此処に幼馴染の両親の墓があるって聞きましてね。
さっきお墓参りしたとこなんですよ。」
「幼馴染の・・・・・・。」
「まだ家が潰れる前までお世話になってたので・・・彼の代わりに挨拶しようと思ってね。」
『彼』とはその幼馴染のことだろう。
優しい子だなあと牧野は純粋に感心していた。
「失礼ですが都会から・・・?」
「ええ。正確に言えば帰省して来たんです。
まあ5年しかいなかったから誰?って言われてもしょうがないですね。」
相当長く故郷に帰っていなかったのか・・・。
先程、彼女が診察から帰ると言っていたのを思い出す。
一見健康体のように思うが、どこか怪我をしているようにも見えない。
「ちょっとした仕事疲れですよ。家庭の事情というのも重なってね。
髪が脱色したのもそのせいなんです。」
自分が疑問に思ってることを当てられたかのように説明する彼女に、
牧野は申し訳ない気持ちで謝罪した。
「す、すみません。そうとは知らず・・・。」
「気にしなくていいですよー。
こんな頭滅多に見かけないし、私もその立場だったらやっぱり見ちゃうかな。」
傷つく所か、逆にカラカラと笑って振る舞っている。
あどけない笑顔に不思議と緊張と不安がスーッと薄れていく。
女は牧野の着ている服装をじっと見つめた。
「牧師さんか神父さんか何かで?」
「・・・求導師・・・・・・というものです。」
「求導師・・・。」
その単語を口に出すのは正直嫌だった。
女は求導師と何度も口遊む。うーんと首傾げると、
「ごめんなさい。全然知らないや。」
まるでイタズラして見つかった子供のように苦笑した。
この村で自分を知らない者は恐らくいない。
村人に会えば祈祷を頼まれ、頭を下げられる。
求導師になって以来、そのようなことは当たり前の光景であった為、
彼女の返答に驚いていた。
「あ、もしかしてこの村で一番偉い人ですか?」
「そ、そんな大それた存在じゃないです!
皆さんの相談に乗ることくらいしか・・・・・・。」
次第に声が小さくなっていく。
何故、初対面の彼女にこんなことを言ったのか、牧野自身も分からなかった。
女は目の前で項垂れる牧野を静かに見据えた。
「事情は知りませんけど、聞き役がそんな後ろ向きじゃあ相手も困っちゃうよ?」
嘲笑いでもなく、悪びれた笑みでもない。
求導女の八尾比沙子に似た慈愛の微笑みだった。
ポッと頬が赤くなる。情けない姿を見せてしまったと後悔した。
「なんて余所者同然の私が言うべきことじゃないですね、ごめんなさい。
えっと・・・求導師さん?」
「牧野慶です。私のことは、そう呼んで下さい。
ここに来たばかりのようですし、もし何かあったらいつでも・・・。」
「んー?肝心のセリフが小さくて聞こえないぞ☆牧野さん。」
とても女性とは思えない力強い手で背中を叩かれた牧野は、
ヒャッと女の子のような悲鳴をあげて、水田の中へ呑み込まれた。
***
羽生蛇村の半数が年寄りで、宮田医院に通う者も入院患者もそれで占めていた。
診察する際は的確に、できるだけ素早くやらなければ次の仕事が回らない。
若き院長、宮田司郎は次の患者を呼ぶようにと、看護婦に催促した。
診察室の扉を開けたは軽くお辞儀してから椅子に座った。
「今日もお願いします。」
がここに来たのは1か月前。
患者に合わせて調剤した薬を受け渡すのは勿論、
薬を調合する家はこの村では有名である。
都会に移り住んで以来、その名を知る村人はごく僅かとなった。
薬局を運営する父の突然の体調不良により、
介護をしなければならなくなったは自分の体を酷使した。
仕事、介護による疲労と父の死が、の身を滅ぼしたのだ。
休職せざるおえない状態を聞きつけた叔母が羽生蛇村での療養を勧め、
月に一度の診察に行くまでに至る。
「貴女でさえ自分の体調を管理できないんですか。」
「お言葉だけど、ちゃんと把握してましたよ?
サプリメントにも頼りましたけど、精神的によるショックって・・・
やっぱりその時にならないと分かりませんからねえ・・・。」
「なら定期診察が一番手っ取り早いじゃないですか。」
「いいですよ。家でずっと待機するほど柔じゃないから。
自分の体調は自分がよく分かってるんで。」
そう言っている側から体調を崩したのは一体どこの誰なんだか。
そんな彼女も医療業に関わっている為、今の所大事は起きていない。
話が分かる患者は楽だ。最も、その患者が薬剤師であるなんて皮肉な話であるが・・・。
「これで以上です。帰りはくれぐれも突っ走らないように。」
しれっと言葉を投げ、宮田はに背を向けた。
いつもならそのまま去っていくのだが、は何故か宮田の横顔をじっと見据えていた。
その視線に気付かないほど鈍感な男ではない。
「何か?」
「宮田さん、兄弟いるんですか?例えば双子とか。」
「ええ・・・それが?」
「ああ・・・牧野さんに会った時、何か違和感あったから・・・そうか、それかー。」
彼女の口から出た男の名前に、宮田は初めて手を止めた。
生まれてすぐ引き離された双子の兄。
それぞれ引き取られた家の養子になって以来、
その名を聞いていい思いをしたことは一度もない。
「牧野さんに会ったんですか。」
「はい。何か聞き慣れない職をやってるらしいけど、
とんでもないドジっ子属性だったなー。」
は面白い人を見つけたと楽しそうに笑んでいたが、
宮田は無表情のままだった。
側で片付けをしている看護婦の恩田美奈に声をかけてからは診察室を後にした。
黒く歪んだ何かが、宮田の心の底で火を灯すように揺らめいた。
引き離された双子